大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和52年(あ)1612号 決定

本籍

前橋市本町三丁目三番地

住居

同 本町三丁目一五番五号

菓子製造販売業

山崎次郎

大正一二年八月五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五二年七月二七日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人飯野春正、同鶴見祐策連名の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤崎萬里 裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光 裁判官 本山亨)

昭和五二年(あ)第一六一二号

被告人 山崎次郎

弁護人飯野春正、同鶴見祐策の上告趣意(昭和五二年一〇月二五日付)

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

一、原判決は、所轄税務署員が被告人の昭和四〇年分、同四一年分の各所得税確定申告に際し過少申告をした疑いを抱くにいたつたことについては、客観的、合理的な理由がある、としている。

そして、その理由として、「逐年申告額が低額化していたこと」などのほか、「所轄税務署の推計による調査所得額との間にいちじるしい差があつたこと」「そこで、所轄税務署長は昭和三八年分、同三九年分につき更正処分(原判決は更正決定と呼ぶ)をしたこと」を挙げている。

しかしながら、これはまことにおかしな論理である。なんら根拠の明らかでない推計により税務署長が一方的に昭和三八年、同三九年分に更正処分を行つたこと(このような推計による更正処分が許されるか否かはさておくとして)自体をもつて、「だから昭和四〇年分、同四一年分も過少申告の疑いがあるとするのは、客観的で合理的である。」との理由づけに用いることは、まさに自主申告制度を骨抜きにしている現在の税務行政の論理そのままである。

右事実の認定は認りである。

二、原判決は、第一審判決事実摘示第一の(一)の(1)の事実について、弁護人の「呈示を求める書類が特定されていない。」との主張に対し、「前記係官は所論指摘のとおり提示を求める書類の具体的内容を明らかにしていない」ことを認めながら、「しかし」とし、「その書類は、当該所得に関し通常備え付けられた前記のような書類(公判に至り、税務署員が「自分たちが見たかつたのは、仕入、売上、経費、資産、負債に関する帳簿、証憑書類、メモおよび預金通帳などである」と供述しているものを指すようである。)を意味することは明らかである。」と断定し、「それが直ちに『検査をしようとしなかつた』ということには当らない。」としている。

しかしながら、弁護人は、税務署員の「検査をさせろ。」という要求の表れが全くなかつたと主張しているのではない。問題は、罰則を伴う法定の帳簿書類の呈示の要求としては、かかる漠然とした要求では足りない。あるいは、かかる漠然とした要求にとどまる場合には、罰則は適用され得ないものである、と主張しているのである。

この点を無視して、「検査をしようとしなかつたというには当らない」から、直ちに所得税法二三四条の検査権の行使があつたとし、同法二四二条の罰則が適用される、とするのは、誤りなのである。

また、原判決は、当日税務署員の来店に先立つて、被告人が電話で「差支える」旨を告げたにもかかわらず、強引に来店した事実など証拠上明らかな事実に目をつむり、税務署員の供述に従つて、その場のやりとりを「認定」したうえ、「注意書」の読みあげを「反省を求めたもの」とし、その後全く帳簿書類の呈示を求めていないことも無視して、「検査に応じなかつた事実が認められる」としている。

さらに原判決は、前橋民商と前橋税務署総務課長との交渉についても、総務課長は「理解を示した」「個人的な見解を示した」「答弁の趣旨があいまい」と税務署に都合のよい一方的な認定をしているばかりか、「したがつて、右総務課長との話し合いを根拠に調査理由の開示を要求することはできない。」と断じている。しかし、たとえ終局的には右話し合いを根拠に調査理由の開示を要求し得るか否か、はさておくとしても、被告人が自ら聞き知つているところと、税務署員の態度がいちじるしく異つているため、前橋民商に聞いてみようとして電話をかける行為が、もつともな行為であることは、少くとも認められる筈であろう。被告人が電話をかけようとしていたところ、税務署員は注意書を棒読みして、陳列棚に差しおき、さつさと引上げてしまつたのである。

以上のとおりであつて、被告人が検査を拒んだとする原判決の認定は誤りである。

三、原判決は、第一審判決事実摘示第一の(一)の(2)の事実について、税務署員は帳簿書類の呈示の要求を撤回した、との弁護人の主張に対し、「被告人が帳簿検査に応じなかつたので、やむなく質問に移らざるを得なかつた。」とし、「このように書類等の提示要求から質問に移ることを余儀なくさせたことは検査拒否となることは当然」としている。

しかしながら帳簿書類の検査も質問も一個の条文によつて定められた調査の方法であり、場合々々によつて、より適切な方法が用いられるべきなのである。

したがつて本件の場合、税務署員が帳簿書類の検査をやめ、質問を始めたことは、とりも直さず調査の方法を変えたことを意味するのであつて、帳簿書類の呈示の要求は任意撤回されたものとみなければならない。

原判決の考えによれば、税務署員は、対象者に対して「あなたは、法二三四条の検査を拒みました。あなたに今犯罪が成立しました。さてこんどは同じ法二三四条によつて質問します。協力して下さい。」と云つて差支えないことになるであろう。これが原判決のいうように「格別不合理な点も存しない」と云えるであろうか。

つぎに原判決は、質問、応答について、税務署員の供述をうのみにして、やりとりを挙げ、被告人が資金の借入先、従業員の給料等について答えたことを認めながら、「前年度の所得調査で判明した取引銀行、あんの仕入先などが当年度も同じであるとは限らない」などと被告人の業種、業態を無視した判断をし、質問の必要性、適否など一切吟味しないまま「答弁を拒んだ」と認定し、あまつさえ、第一審判決と同様、被告人の知らない闇屋の氏名まで答えるべきものとして、不能を強いている。

以上のように、原判決の認定は誤りである。

四、原判決は、第一審判決事実摘示第一の(二)の事実について、当時被告人が風邪のため就寝していたこと、税務署員が電話で警察官に助言されて帰つたものであることを認めながら、税務署員の供述から、いくつかの被告人の言葉なるものをひろい挙げ、「検査に応じ得られない程度の症状にあつたものとは認めることができない。」と独断している。また被告人が単に掻い巻を着ているだけで、病状についての説明をしないことを責めている。たしかに被告人は「風邪を引いている。」と述べただけで、熱が何度あるとか、何時に薬を飯んだとか、くわしく述べてはいないようである。しかし一体このような詳細まで説明すべき義務が被告人にあるであろうか。坂田証人の証言によれば坂田証人は、状態を一目見て被告人の具合が相当悪いことは判つたと云う。そして坂田自身も「この体の状態では無理だから後にしてくれ。」と云つているのである。

その他、被告人が奥へ入つたこともこれまではじめてであるし、まして警察へ電話をしたこと自体当日はきわめて異常な状態であつたことが判るのである。

ここで一つ指摘しておきたいことは、裁判所は、さすがに第一審裁判所も、原審裁判所も被告人が風邪を引いていたこと自体は認めている。この事実は、あまりに明らかな事実だからである。ところがなんと税務署員は三人とも「被告人が風邪を引いていることは判らなかつた。」と口をそろえ、「丹前を着て、くつろいでいたようでした。」ととぼけているのである。

税務署員が虚偽の供述をしていることは明らかである。ところが裁判所は、その他の問答、例えば、被告人が「うるさいこの野郎、営業妨害だから出て行け、出て行け。」と述べた、などという点は税務署員の供述を採用して、「だから風邪といつても大したことはなかつたのだ。」という認定に達しているのである。

このように一方で税務署員の供述を信用しないでおきながら、一方で同じ人間の供述を信用することは全く理解に苦しむのである。

だいいち被告人はこの日「営業妨害だ」などと云う筈は絶対にないのである。なんとなれば、昭和四二年六月二一日は水曜日で、被告人の店は定休日で、営業はしていないからである。

原判決の事実誤認は、あまりに明らかであるといわねばならない。

五、以上の事実誤認は、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認であり、原判決を破棄しなければ、著しく正義に反すること明らかである。

第二点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

一、原判決は、第一審判決事実摘示第一の(二)の事実について、「当時被告人が風邪のため就寝していたとしても、右検査に応じ得られない程度の症状にあつたものとは認めることはできないし、かりにこの点をしばらく措くとしても、単に掻い巻を着ているというだけで病状についての説明もないまま、右のような言動に及んだ被告人に対し、検査を申し入れ、これを始めようとしようとした前記係官らの行為が社会通念上相当な程度を逸脱した違法、不当のものであるということはできない」と判示している。

しかしながら夏期の六月二二日昼間に被告人が綿入りの掻い巻を着込んで寝込んでいた事実は明らかであり、第一審、原判決もこれを認めているが、このような状態が一見して異常であり、被告人が病気であることは、それこそ社会通念上、当然に認識し得るところである。

このような正常でない被告人に対し、その苦痛に耐えてまで、当日の税務調査に従うべきことを要求できるであろうか。当日の税務調査がそれほどさし迫つた高度の必要性があつたとは到底思われない。

原判決は、被告人が「病状について説明もない」と判示するが、被告人は第一審、原審における供述および、第一審の坂田証言など証拠上明らかなように「風邪をひいている」旨を税務署員に告げており、現場に来た坂田も「この体の状態では無理だから後にしてくれ」と述べているのであるから、原判決の事実の認定に誤りがあることは、第一点で指摘したとおりであるが、税務署員があくまでも検査しようとしたという原判決認定の行為が、「社会通念上相当な程度」の範囲内かどうかは、結局のところ、質問検査の客観的必要性の度合との比較衡量にかかつていることはいうまでもない。原判決がこの点に考慮を至した形跡は全くない。この比較衡量の前提を度外視すれば、いかに発熱の苦痛の中にあつても本人において署員との問答が生理的に可能であれば、署員の要求に応じて行動することが、肉体的に可能であれば「検査に応じ得られない程度の症状にあつたものとは認めることができない」との強弁も成立ち得よう。第一点において、この判示を「独断」としたのは、この為である。

ところで税務署員が税務調査にあたつて質問検査権の行使の方法を選択することが法的に許容されるのは、

〈1〉 諸般の具体的事情にかんがみ、権限ある税務職員において客観的な必要があると判断される場合であること

〈2〉 その実施の細目は、右必要性のほかに、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまるものであること

の要件を充すべきものであることは、原判決が引用する最高裁昭和四八年七月一〇日第三小法廷決定が示しているところである。

ここで本件の場合私的利益(当面病気の回復に専念し、病気昂進のおそれもある苦痛に耐えてまで調査に応じたくないという被告人の立場)と比較衡量されるべき客観的「必要性」とは、何であり、どのような程度のものであつたかが検討されねばならない。

原判決は、被告人の申告に税務署員が過少の疑いを抱いたことについては客観的、合理的な理由があると認定している。この認定が事実誤認であることは第一点で指摘したとおりであるが、それは別としても原判決のいう過少申告の疑いをもつて右の「必要性」の要件を充足するに足りるものであると解することはできない。

仮に過少申告を疑わせる相当な理由があつた場合でも、それは税務調査の必要を意味するにすぎず、かなり重い罰則の裏付を持ち、任意とはいいながら間接的な強制の契機を伴う質問検査権行使の必要性はまた別個のレベルの問題として吟味されねばならないのである。すなわちここでいう「必要」とは、税務調査の必要だけでは足りず、租税法上の質問検査の方法によらなければ、十分調査することができないという、質問検査の必要をも意味していることは、明らかである。

このことは、右決定が、まず税務行政上、職権調査の必要のある場合があることを一般的に示したあとで、「職権調査の一方法として」の「質問検査」というとらえ方をしていることにも窺われるが、所得税法二三四条自体が「所得税の調査について必要あるときは……質問し……検査することができる」と規定している文理からいつても疑いのないところである。同条がいう「必要あるとき」とは、まさに、一般的な調査の必要というよりもまさに具体的な「質問」「検査」の必要なのである。

ところで、具体的諸事情にかんがみて認められるべき質問、検査の必要は、その適法性が吟味されるべき当該質問なり検査要求の具体的かつ客観的必要性にほかならないから、本件の場合も、病床にあつた前記被告人の状熊を考慮しても、なお、それをおしてまで当日強行しなければならないというさし迫つた事情があつたかどうかが、まず問題とされねばならないのである。そうだとすると、答は明瞭であろう。当日、被告人の状態を見て、調査を後日に譲ることは可能であるばかりでなく、社会的通念からいつて当然であつたはずである。すでに臨店調査の一月二五日、二六日から半年も経過して、いきなり訪ねて行つた六月二一日の当日の臨店が、必要不可欠であつたとは到底解されず、他日を期しても、何ら差支えないものであつたことは明瞭である。しかも、税務当局は、一月の臨店後の時点で、被告人に対して告発の処置をとり、反面調査などを行ない推計による更正の準備を進めていた段階なのである。被告人の具体的な状況との対比において、税務署員が、検査の要求に固執したのは、質問検査の客観的必要性がないばかりか、社会通念上、相当な限度を越えたものであり、その違法、不当は明らかといわねばならない。また当該検査要求の具体的な必要について何ら判示していない点は、審理不尽というほかない。

以上のとおり原判決は法的評価を誤り、法令違反をおかしたものというべきである。

二、原判決は、質問検査の「実施日時、場所の事前通知、調査の理由および必要性の告知のごときものも、質問検査を開始するための法律上の要件とされているものではない」と判示し、前記最高裁決定を引用しているが、同法定は、前述のとおり実施の細目について「私的利益との衡量」を説きながら、事前通知や理由開示については、「一律の要件ではない」としているのであつて、すべての場合にわたつてこれらが質問検査権行使の要件ではないと断定しているものでないことは明らかである。

(この点につき、右決定に対する評釈では、右決定が「理由開示が法律上要件でない場合がありうることを認めている」趣旨として評価されている。

例えば清永敬次教授シユトイエル一三七号、北野弘久教授「税理」一六巻一二号三二頁、波多野弘教授シユトイエル一四三号、渡辺昭判事「租税法講座」三巻一二四頁など)

従つて、右決定後の下級審判決は、理由開示の必要性を積極的に肯定するものが少なくない。

例えば松山地裁昭和四八年一一月一日判決(シユトイエル一四二号)は「調査対象者に合理的な理由があれば、調査目的、あるいは理由の事前開示を要求し、これが容れられなければ、調査を拒むことのできる場合のあることは、否定できないところである」としている。

刑事事件で、理由開示の要件性について明確に触れて、理由開示をしなかつたことを理由に被告人の質問不答弁を正当な理由があると無罪にした判例としては、盛岡地裁四十九年八月二十一日判決(判例時報七八二号一〇二頁)がある。

同判決は「質問検査権の規定が憲法三一条、三五条、三八条一項等の規定に違反するものでないとしても、具体的な質問検査権の行使がその運用いかんによつては違憲となり、あるいは、少なくとも具体的な質問検査権の行使の態様が適正を欠き、そのためこれに応じないことが正当な理由によるものとして処罰され得ない場合があり得ると解すべきである。」「職権調査の一方法として罰則を伴う質問検査権の行使が認められるためには、その際における具体的諸事情に照らし、客観的必要性があると判断される場合でなければならず、かつ、ここに客観的必要と言う以上は、それが客観的見地からも合理的であるとされる必要性でなければならないことを意味し、税務職員の恣意的判断による必要性で足りるものでないことは、当然である。」としたうえ、理由開示、事前通知に関して、次のように判示している。

「当該調査の目的、調査の事項、調査の進行程度、あるいは、これに対する相手側の対応状況等の個別的具体的事情に照らし、税務職員が調査の理由や必要性を告知しないことが明らかに不合理であると考えられる場合において、なおこれを告知せずになされた質問検査は、もはや適正な質問検査権の行使とは評価されず、これに応じないことは正当な理由によるものとして処罰の対象とならないと解すべきである。」「調査日時の事前通知がなかつたため、営業上の利益等対象者の私的利益が質問検査の公益上の利益に比し、過大に侵害されるに至つたような具体的事情が存在するがごとき場合は、これを拒否したとしても正当な理由に基づくものということができる。」

つまり、この判決は、調査理由の開示(あるいは事前通知)が質問検査権を適正に行使する上で必要な場合があり、その場合には、これを欠く質問検査権の行使に対しては、相手方(被調査者)が応じないことが正当な理由によるものとして、処罰の対象にならないとしているのである。

「理由開示」の要件性については、学説上もともと積極説が支配的であつた(例えば北野弘久「現代税法の構造」三三四頁、新井隆一「税法学」二三二号三五頁、高梨克彦「シユトイエル」一一〇号一五頁、同一二一号六頁、増本一彦「税理」八巻一四号、関本秀治「税理」一四巻一〇号、竹下重人「税経通信」二八巻三号、広瀬正「判例から見た税法上の諸問題」新日本法規三六頁など)が、右最高裁の決定後も、この要件性を肯定するものが多いことに注意すべきである。

例えば、田中政義「租税刑事法概論」八一頁は、「多くの納税義務者が遭遇する調査権は、この課税処分のための調査権であり、この調査権行使に当つて用いられる質問検査権については、一定の限界があると解することについては、前述したところである。この調査は、調査の必要性ありとする相当の理由がなければ開始できないのか、それとも、当該職員の恣意的な考えで開始できるかという問題がある。この調査が、間接強制を伴う任意調査である性格を考えると、調査を行うには調査を行なわなければならない相当の理由があることを要し、被調査者の立場を考えれば、単に、税務職員の恣意的な考えだけでは合理的には、開始できないものと解する。『叩けば、何か埃が出るだろう。』という発想から開始される調査は、妥当でない。また、この調査に当つて、調査の理由を被調査者に開示する必要がある。これは、任意調査の性格から来る当然の帰結である。しかし、調査が進むに従つて、最初開示した調査事項の外に他の調査すべき事項が発見された場合、その新たな事項について調査することは差し支えないものと解する。納税義務者は、質問検査権の行使について、一般的に受忍義務を負つており、調査の対象者に選定されたことによつて、受忍義務が例外的に発生するものではない。という理由から、調査の理由を開示しないでも、調査できるとする見解があるが、一般的に受忍義務があるということと具体的に調査を行うために必要な理由の開示とは区別されなければならない。調査理由の開示なくして任意調査は人為的に実行できないであろう。」とされている。また、藤木英雄教授「行政刑法」(学陽書房)一七九頁は所得税法による質問検査権の行使に関し、最高裁判所昭和四八年七月一〇日の第三小法廷決定(刑集二七巻七号一二〇五頁)は、税務職員が質問検査を行なうに際して、その質問の理由および必要性を相手方に告知することは法律上の要件ではないと断定している。

しかし、質問検査権を円滑に行使して、行政目的を達成する上では、質問検査権の行使に対する妨害行動には、間接強制手段しか認められておらず、実力を行使するには裁判官の令状が必要であるということを考えると、行政庁の職員が、自己に与えられた権限の範囲内で有効に質問検査権を行使して職責を果たすことを可能とするためには、相手方の自発的な協力をうることが最も重要なことであり、そのためには、なぜこのことについて質問をするのかの一応の理由を告げることが妥当であると考えられる。質問の理由告知が全くなされなくても、相手方がなぜ質問をうけるのかを十分に熟知しているような場合は別として、質問の理由、必要性についての一応の妥当な説明がなされないままに行なわれた質問に対し、相手方が答弁を拒んだとしても、質問検査を妨害しあるいは忌避しあるいは答弁しなかつた罪の成立を認めるのは妥当を欠くと考えられる。」とされている。

本件の場合は、前橋税務署の総務課長が調査理由は明らかにする旨を明言したと考えていた被告人が、臨店した税務署員に対して、調査理由、質問検査の必要性について問いただしたのは、当然のことであり、税務署員においても、客観的な必要性があると判断したものであるならば、それを告知して何ら支障ないのであるから、積極的に明らかにすべきであつたといわねばならない。

ところが原判決は、およそ質問検査に際して事前通知および理由開示は法律上の要件ではないと解して、事前通知もなく、理由開示もなされずに強行されようとした本件の税務署員の質問検査をもつて、適法としたのは、法令の解釈を誤りまさに法令違反をおかしたものというべきである(なお、原判決は弁護人の控訴趣意を憲法三五条、三八条違反で無効であるとの

一一五~最後頁不足

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